メッセージ(礼拝説教要旨) 最新版 先週までのメッセージ

【気落ちしないために】(2025年2月2日)

〈ルカによる福音書18:1-14〉,前橋中部教会主日礼拝説教(要旨) 堀江知己牧師

 私たちは不正な裁判官にはなりたくともなれません。しかし、人の評価を公正な立場でしているでしょうか? 私は不正な牧師です。不正ななにがしは、私だけではないと思います。不正な教師、不正な公務員、不正な営業マン、不正な主婦。「果たして地上に信仰を見いだすだろうか?」どうしたことでしょう。「気を落とさずに絶えず祈らなければならない」(1)と教えたはずなのに、主は急に気を落としておられます。おそらく、不正な裁判官のたとえ話をする中で、皆が不正であるのを思い、そのせいで気弱になってしまわれたのでしょう。ですから、気落ちしている主を励まして差し上げたいものです。ではどうすれば? それは、信仰者はここにと、主にアピールすることです。主は、「信仰者はいないのではないか」と気落ちされているのですから。自分の功績を主と人々の前で輝かそうとしたファリサイ派の人の信仰は輝いていませんでした。徴税人は、どんな自分を罪深いと思っていたのでしょう? 人々に嫌われている仕事をしているから、罪人であると考えていたのではありません。社会に必要な職業であるならば、主はその職業をもって、人の良し悪しをご判断なさったりはしません。徴税人も、不正な徴税人だったということです。自分の利益のために動き、偏って人を見ていたことを、御前にあって自覚し、そしてそのような自分には輝く点が一つもないことを、悔い改めていたのです。自分の信仰は暗く、輝きがないとの自覚を持つことによって、信仰を輝かせ始めます。神殿に上って祈ったこの日に、この人は義とされました。終わりの日に、真の信仰者と見なされるかどうかを気にするよりも、むしろ今日、信仰があるかないかが見分けられます。今日主の御前にあって、信仰を輝かせましょう。今日だけではなりません。次週も主に自分の信仰を認識していただき、次の次の週も義とされて帰っていき、そして主のお気持ちとして、「果たして地上に信仰者を見出すだろうか」といった不安ではなく、「この調子なら、終わりの日に私がやってくる時もきっと大丈夫だろう」という安心感を、主に抱いていただきましょう!


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