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メッセージ(礼拝説教要旨)

『愛をもって互いに仕えなさい』(2014年1月26日)

〈レビ記19:18,ガラテヤの信徒への手紙5:7−15〉,前橋中部教会主日礼拝説教(要旨) 小峰擁牧師

わたしはキリスト者の愛による奉仕ということを考えますとき、讃美歌の536番の歌詞をいつも思い起こします。この「むくいをのぞまで ひとにあたえよ」というのが、キリスト者の愛の奉仕のこころではないかと思うのです。

そして、讃美歌536番の下には「引照聖句」としてマタイ10:8があげられています。「ただで受けたのだから、ただで与えるがよい」(マタイ10:8、口語訳)とのイエスさまのお言葉です。これこそ愛の奉仕のこころだと思うのです。

パウロは、ガラテヤの信徒への手紙5章の中で、キリスト者の信仰の自由と愛による奉仕について、愛の働きとなってあらわれる信仰ということを強調いたします。

さらに、愛によってあらわれる信仰をこのように表現いたします。

「兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。」(ガラテヤの信徒への手紙5:13〜14)

わたしたちは、神さまのみ前に出て、神さまの御光に照らしだされるとき、誰もほんとうに自信をもって隣人を愛していますと言うことができないかもしれません。いつも胸を打って神さまにゆるしを乞うしかありません。

しかし、わたしたちがイエスさまの十字架によって罪をゆるされ、神さまの愛によって生かされるとき、このことがわたしたちにも可能となってきます。「愛によって互いに仕えなさい」、「隣人を自分のように愛しなさい」ということも、わたしたちが神さまの力によって生かされるとき、イエスさまの力によって歩まされるとき、わたしたちにも可能となってきます。

つまり、わたしたちが、御霊によって生まれ変わる、そのことによって、これらのことがわたしたちにもすこしずつかもしれませんが、神さまの愛と憐みによってほんとうに実現してゆくのです。神さまの愛によって、イエスさまの十字架の愛によって、実現してゆくのです。

「ただで受けたのだから、ただで与えるがよい」とのイエスさまのお言葉の通りです。わたしたちも、隣人を自分のように心から愛することを、信仰による希望をもって、日々祈り、実践してまいりたいと思います。