メッセージ(礼拝説教要旨) 最新版 先週までのメッセージ

『新しい名』(2024年3月24日)

〈出エジプト記6章2−13節〉,前橋中部教会主日礼拝説教(要旨) 堀江知己牧師

モーセには、父祖たちに知らされなかった神の名が啓示されたとのことです。それは、「私はある」(出3:13)という名でした。すると、神がご自身について教えられていくのには、段階があるということなのでしょうか? イスラエルの歴史において、神は徐々にご自身を啓示されたのでしょうか? 「新しい歌を主に向かって歌え。」(詩98:1)。何が新しいのでしょう? これまで誰かが歌ったことがある歌は、新しい歌ではありません。ならばどのようにして、私たちは新しい歌を、しかも毎週のように、毎日のように歌えるでしょう? 私たちの創作力、作詞作曲の才能は、それほどまでに豊かではないはずです。よって、「新しい歌」とは、これまで誰も発表してこなかった歌詞やメロディーを歌うことではありません。自分の十字架を日々負い、日々新たにされていく自分が歌う歌は、これまでに一度も歌ったことのない歌なのです。私たちは、そういった意味での新曲を、これまで一体幾つ世に発表したでしょうか! そして、モーセが、これまで誰にも知らされていなかった神の御名を知らされたとは、そういった意味であると思うのです。つまりモーセにしてみれば、この自分が主のご用のために遣わされることを知らされた時、神の御名を新しく聞かされた気持ちになったのだと思います。私たちは、神がご自身の民と共におられることを、また神が全能の神であられることを知っています。しかし、その神が、この自分を立たせてくださる――そのことを知らされた時、私たちは、これまで知らなかった、そして自分以外には誰も知らない神を、知らされた気持ちになるはずです。自分しか知らない神との関係を持てば、神はこのような側面も持たれるお方なのだ!と気づき、それはまるで、自分だけに新しい御名を教えてくださったかのようです。そしてその時、新しい歌を歌うことができることでしょう!


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