メッセージ(礼拝説教要旨) 最新版 先週までのメッセージ

【証人が来るのはご辞退】(2025年1月12日)

〈ルカ福音書16:19-31〉,前橋中部教会主日礼拝説教(要旨) 堀江知己牧師

ラザロは、人のためにどんなことをしていたのでしょう? 人ではありませんが、犬には優しくしました。そもそも彼に近づく人は誰もいなかったのでしょう。この情景はグロテスクで、気持ちのよいものではありません。ラザロ自身は気持ち悪いとは思わなかったのでしょうか? それとも、もう追い払う気力も体力もなかったということなのでしょうか? おそらく、ラザロはあえてそのままにしました。犬もまた飢えていたのでしょう。ラザロは、たとえますます体をむしばむことになっても、犬にとっての最低限の食べ物を奪うことはありませんでした。彼は憐れみ深くあったのです。だからこそ天の御国に迎えられました。金持ちは最後によく言ってくれたという気持ちになります(30)。私たちもつい思ってしまいます。天国から証人がやって来て証ししてくれれば、迷いを完全に捨てて信じるのにと。もし、地獄ではいかに激しい苦痛が待っているかを、証人がやってきて知らせてくれれば、陰府に落ちないように、すぐにでも健全に生きるのにと。しかし主は、聖書に頼りなさいと言われました。モーセと預言者とは旧約聖書、さらには聖書全体のことです。主のご返答はいじわるではないでしょうか? 主はなぜそう答えられたのでしょう? 実に、天の国とは、そういう人たちが集まる場所だからです! 聖書の言葉だけで、天の御国の存在を信じることができる人(ヨハ20:29)しか行くことはできないのです、天の御国には。アブラハムも使徒たちも、天の御国からやってきた証人の言葉を聞いたことがないのに、天の御国を信じることができた人たちでした(ヘブ11:13)。逆にもし、天の御国から、あるいは陰府から、証人として誰かがやってくるのならば、私たちは見て信じることになります。見て信じたところで、天の御国に上ることはできません。よって、天の御国から証人がやって来ないことを、本当に幸いだと理解しましょう。自分は天の御国を見たと、あたかも真実らしく証言する人が出てくるとしたら、「ああ結構です、聞いてしまったら、天の御国に行くことができませんから」と遠ざけることにしましょう。


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