メッセージ(礼拝説教要旨) 最新版 先週までのメッセージ

【くどいくらいに】(2024年9月29日)

〈ルカによる福音書10:38-11:13〉,前橋中部教会主日礼拝説教(要旨) 堀江知己牧師

 マリアは、ただ一つの必要なことを選んだと言われています。それは、御言葉に聞くということであり、そして御言葉に聞かねばならないのは、救われるためです。救われるためには、信仰をもって御言葉を聞く必要があり、それ以外には救われる可能性はないということを、マリアは理解していたのです。かたやマルタは、奉仕が救いを得るために必要だと考えていたから、熱心に働いていたのではないでしょうか? えてして私たちは、色々と御言葉以外のことに励んでしまいがちです。しかし、奉仕は大切ではあるけれども、それは御言葉に対する応答なのであって、御言葉を聞いて信じること以外に、救いを得るのに必要なことは他にないということを理解しましょう。主が一人で祈っていたことから、祈ること自体が大切であることを学ばなくてはなりません。私たちは、理由をつけて祈ることを遠回しにするものですが、それは弟子たちも同様でした。弟子たちは、祈り方が分からないなどと言い訳せず、とりあえず祈る主に倣って祈ればよかったのです。主の祈りの内容から、祈りの本質を学ぶことができますが、主が一番教えたかったことは、熱心に祈り続けることだったのかもしれません。というのも、主は続けて、たとえでもって教えておられるからです。たえず祈り続けることを。よって、主の祈りも、一回祈るのではなく、事あるごとに祈る必要があります。まさにくどいほどに祈り続ければ、主は願いをかなえてくださいます。実際私たちも、主の祈りをくどいように祈っているはずです。毎週の礼拝において、必ず主の祈りは口に出して祈ります。祈祷会でも、なんらかの集会でも祈ります。それは、くどいほど祈ってはじめて、主は願いをかなえてくださるからです。しかし、単にくどくどと祈るのではなく、心から熱心に祈らねばなりません。心から祈るといった熱心さと、そして、何度も繰り返し、主がもう降参と思われるほどのくどさの二つが伴ってはじめて、御国の門は開かれます。何度も何度も、くどいほどに祈りましょう。主ご自身がもう降参、願いを聞き届けてあげよう、と言ってくださるまで!


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