メッセージ(礼拝説教要旨) 最新版 先週までのメッセージ

【二枚の板】(2024年7月21日)

〈出エジプト記20:1-21〉,前橋中部教会主日礼拝説教(要旨) 堀江知己牧師

  モーセは十の戒めを、石の板に書き記したとされています(出32:15)。最も良いのは、書き記される前に、単に聞くだけで済むことでした。しかし、あえて板に文字に書いて記したのは、人々が繰り返し読み、忘れないようにするためです。忘れやすい民に対し、神は大切なことを、はっきりと文字にして書き記すようにとたびたび命じられました。「走りながらでも読めるように、板の上にはっきりと記せ」(ハバ2:2)。しかし、民と同様、私たちもそうすることができませんでした。十戒に限らず、御言葉を聞くことも読むこともなく、走る時には走ってしまい、仕事をする時は仕事をしてしまい、寝ている時には寝てしまい、食べる時には食べるだけであり、遊ぶ時には遊ぶだけだったのです。このような私たちにとって、十戒はやはり恐怖(20)の教えです。しかし、主イエスは、私たちが掟を守り通すことができないからこそ、十字架にかかり、償いのいけにえとなってくださいました。この主を愛する限り、私たちにはもはや恐れはありません(一ヨハ4:18)。そして、主は恐怖の戒めを、愛の戒めに書き直してくださいました(マタ22:34-40)。十戒の前半部分は神への愛を、後半部分は隣人愛を説いています。では、全面的に書き直されたこの愛の掟を、主はどこに書き記されるのでしょう? 文字を刻むためのただの板ではなく、心の中の板にです(箴3:3、エレ31:33)。心の中に板があるとすれば、それはどのような形、どのような構造をなしているのでしょう? モーセは二枚の板に書き記しましたが、心にも二枚の板があると考えましょう。その二枚の板とは、すなわち二本の木、十字架の木です。一つは真っ直ぐにそびえ立ち、一つはきれいに水平に置かれています。前者は神への愛を指し示し、後者は隣人の愛を説いています。神と隣人への愛が記されたこの二つの木、二つの板が、十字架の形をなし、私たちの心に組み立てられていますように。


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