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【海を真っ二つに分けた杖】(2024年6月9日)

〈出エジプト記13:17-14:18〉,前橋中部教会主日礼拝説教(要旨) 堀江知己牧師

イスラエルの民が歩んだのは荒れ野でした。砂漠は昼夜の寒暖差が大きく、昼は灼熱の暑さ、夜は極寒の寒さが襲います。そこで、主は昼と夜では逆の守り方をしてくださいました。主は必要な時に、必要な守り方をしてくださいます。そしてそれは、いつも助けてくださるにしても、必ずしもいつも同じ慰め方、守り方、教え方をされるわけではないということでもあります。私たちも、いつも決まった仕方で支えられてきたわけではないはずです。たとえば、祝福をいただくという仕方で慰められ、一方で、試練を味わわされ、厳しく教育される仕方で成長させてもらったことも、あるのではないでしょうか? ですから、私たちは苦難をも誇りとすることができます。なぜなら、苦難は、その時の自分にとって必要だと主がお考えになって、主が与えられたものなのですから(ロマ5:3)。昼夜を問わず旅することができた(21)民でした。私たちも、たとえ苦難を通して訓練されていても、常に約束の地に向かって進んで来たと、固く信じるようにいたしましょう。しかし私たちも、何のために救いに導かれたのかと考えてしまうことがあります。民はエジプト軍が追って来た時、早くもそういう思いに至りました。私たちにも激しく追ってくるものがあります。それは、私たちの中に宿る悪と罪(ロマ7:21)。でも、民のように元に戻ろうとしたり、約束の地に旅立たねばよかったと後悔しないようしましょう。モーセの杖は奇跡を何度も起こし、民を救いました。私たちには大牧者の杖があります。それは主の十字架です。主の十字架によってこそ、ピンチを切り抜けさせてもらいます。民は、真っ二つに分かれた海を渡るという最大の恵みにあずかります。主イエスもまた、ご自身の十字架によって、海を真っ二つに切り開いてくださいます。それはこの世という海。主が十字架の上で息を引き取られた時、神殿の垂れ幕が真っ二つに裂かれました(マタ27:51)。それはまるで、主が十字架の杖をもって、私たちが約束の地へと向かうようにと、世という大海を真っ二つに裂いてくれたかのよう。私たちはその真ん中を渡って行きましょう!

 

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