【なぜできなかった?】(2024年4月21日)
〈出エジプト記7:9-8:15〉,前橋中部教会主日礼拝説教(要旨) 堀江知己牧師
モーセはファラオの前で次々に奇跡を行い、十の災いをもたらします。最初の奇跡(これは「十の災い」には入りません)は、杖を蛇に変身させるものでした。しかし、エジプトの魔術師たちもなかなかたいしたもので、同じ奇跡を披露します。続いては血の災い。しかし、エジプトの魔術師たちも同じことをします。三番目はカエルの災い。魔術師たちも同じことをします。四番目の奇跡はぶよの災い。すると、「魔術師も同じようにぶよを出そうとしたが、できなかった」。さすがの魔術師たちもお手上げだったようです。しかし、なぜ、ぶよを生じさせることはできなかったのか? カエルは連れてこれたのに、ぶよは言うことを聞かなかったのか? モーセが行った四番目の奇跡は、魔術師たちも行うことができた一から三番目の奇跡よりも規模が大きく、よって、四番目の奇跡に関しては、力不足で行えなかったのでしょうか? しかしどうでしょう、ナイル川の水を一気に血に変える方が、より大きな奇跡のように思われます。よって、魔術師たちが四番目の奇跡を行うことができなかったのは、能力的にできなかったからではありません。主イエスは荒れ野で、サタンから三度、誘惑を仕掛けられました。なぜサタンは、四番目、五番目の誘惑を仕掛けなかったのでしょう? もう何度試みても無駄だということが分かったからです。両者の攻防は、内容を変えて永遠と続くことができたはずですが、サタンがそれを避けたのは、すでに戦う気力といった点で、主に負けていたからです。エジプトの魔術師たちも、気力を失わなければ、モーセが行った奇跡を、この後も繰り返し行うことができたと思います。どうしてやる気を失ったかと言えば、これ以上自分たちが奇跡を行っても、モーせは永遠に奇跡を行い続けることに感づいたからです。私たちも、世の悪と戦い続けていかねばなりません。その際に最も求められるのは、やはり忍耐です。サタンはあらゆる誘惑を仕掛けてきますが、気力、あるいは忍耐といった点で譲らなければ、サタンは早々に去っていきます。