メッセージ(礼拝説教要旨) 最新版 先週までのメッセージ

【燃え尽きないのはなぜか?】(2024年3月3日)

〈出エジプト記3:1-15〉,前橋中部教会主日礼拝説教(要旨) 堀江知己牧師

 牧師となることを志すといった意味で、召命という言葉は使われます。しかし、召命感とは、神によって遣わされていると自覚している、ということですから、全ての信仰者が召命感を持っていなくてはなりません。そして、召命を受け取る人は、どんな使命を帯びて遣わされるか。召命を受けた人たちは、共通の使命を受け取りました。神の民に仕える使命です(10)。初代教会には様々な職が存在しましたが(一コリ12:28)、全ての人が、自分の職を通して教会に仕えるようにと召しを受けていました。では神はどのようにして、召しを悟らせてくださるのでしょうか? 火を見させることを通してです(2)。この炎は決して燃え尽きない炎。この炎は神の愛の炎です。愛はいつまでも残る(一コリ13:13)。さらに、神の愛は、独り子を世にくださったことによって明らかにされました(一ヨハ4:9)。自分ではなく、他者のために仕えることが、神の愛の本質です。それが、燃える炎というかたちでモーセに示されました。そしてこの光景を通して、モーセは召命を受け取りました。それもそのはず。召命とは、自分ではなく神の民に、他者に仕えようとする志だからです。神の愛がはっきりと示されてはじめて、私たちは、他者のために仕える召命を受け取ります。「どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう」。なぜ燃え尽きなかったのか? いつからいつまで燃えていたのか? はるか以前から燃えており、その後も燃えていたのです。私たちもその愛の炎を見てみたい。なぜなら、それは今もどこかで燃えているはずなのだから。使徒たちは見たことがあったのか? 主が火をともされていた時がありました(ヨハ21:9)。主がおこされた火は、食事の後消えてしまったのか? 弟子たちの心の中では、その後も燃えていたはずです。百五十三匹の魚(同11)とは、一説によると、全世界からかき集められた神の民を象徴します。よって、神の民に属する私たちも魚に成り変わり、主がおこされた火を見ましょう。決して消えない愛の炎に温められて、教会に仕えていく者となりましょう!


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