【二人が出会った場所】(2024年3月17日)
〈出エジプト記4:18-31〉,前橋中部教会主日礼拝説教(要旨) 堀江知己牧師
「エジプトに帰るがよい、あなたの命をねらっていた者は皆、死んでしまった」(19)。「イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった」(マタ2:20)。共通するのは、命をねらっていた者が皆、死んだ後に旅立ったということでしょう。私たちも、召命を受けて旅立つ際には、自分の命をねらう者が死んでいなくてはなりません。私たちの命をねらう者とは誰か? 私たち自身の中に、私たちを殺そうとしている者がいます。それは、私たちの体に宿る罪のこと(ロマ7:23)。主のご用のために立ち上がる際には、自分自身の罪を死なせていくことにいたしましょう。悔い改めが済んでいないままならば、私たちは良いことを何もなしえません。主がモーセを殺そうとされたとしたら、モーセが律法を破っていたからでしょう。モーセは子に割礼を施しておらず、それは契約違反でした(創17:12)。いよいよイスラエルの民を救おうとする際に、自分が律法を守っていないとなれば、民はついてはこなかったはずです。モーセとアロンが出会った場所は神の山(27)でした。そこはアブラハムがイサクを捧げた場所であり、モーセ自身、燃える柴を目撃した場所であり、やがてエルサレム神殿が立つ場所であり、さらには、弟子たちが復活の主イエスから派遣された場所でした。神の山とは、いわば教会が立つべきところ、いえ、教会そのものです。そこで二人は出会いました。先週、神の民を教会を導いていくのは、教会でなくてはならないと言いました。教会を救えるのは教会だからです。そして、教会が出来上がったところは、まさに教会があるべき場所だったのです。諸々の民もシオンの山に上って来ます(イザ2:2)。ですから私たちも、モーセとアロンが出会い、教会が出来上がった神の山に上りましょう。そこは教会が立つべき本来の場所です。主は私たちをそこへと招いておられます。