メッセージ(礼拝説教要旨) 最新版 先週までのメッセージ

【助産婦の助けなしで】(2024年2月6日)

〈出エジプト記1:1-22〉,前橋中部教会主日礼拝説教(要旨) 堀江知己牧師

 助産婦たちがファラオに告げた言葉は、真実だったのでしょうか? それとも真っ赤なウソだったのでしょうか? 「ヘブライ人の女は丈夫で、助産婦が行く前に生んでしまうのです」。助産婦たちのこの言葉は、意味が通じません。ファラオは、生まれた子が男の子だったら殺すようにと命じたのであって、生まれて来る前に殺せとは一言も命じていません。よって、弁明として成り立たないのですから、そもそも彼女たちは弁明しているつもりはなく、本当のことを言ったのだと思います。産むのは丈夫な母親だったとのことですが、同時に、生まれて来る子も丈夫だったということなのでしょう。イスラエルの子らは生命力が強く、何者の力も借りずに生まれてきたのです。子が産まれる際に、この時代最も助けとなるのは助産婦でした。その最も頼りになる存在すら必要とはされないまま、無事元気に生まれて来る――私たちは、いわば神の子を生む務めを担っているといっても過言ではありません。神の子を生む際に、最も欠かせぬ存在は、牧師や信頼のおける信徒です。私たちは、新たな神の子が産まれる助けをする助産婦にたとえられます。しかし本当のところ、私たちは無力です。新しく生まれて来る神の子どもは、私たちが行く前に生まれてしまいます。つまり、私たちの力を借りずとも、神ご自身が生んでくださいます。決して、私たちが生ませるのではありません。ここに自らの無力さを感じる一方で、己のうぬぼれは打ちたたかれます。助産婦の働き自体は否定されませんし、それぞれ神の子が生れる助けをする助産婦の務めに励まねばなりません。一方で、人間の努力や力にかかわらず、神の子どもが生まれてくるのも事実です。実際、私たち自身も、そのようにして生まれてきました。そして、神の子として、強い生命力をもって生まれてきました。ですから、自信をもって、強く雄々しくあり、困難にめげず、約束の地に向かっていきましょう!


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