メッセージ(礼拝説教要旨) 最新版 先週までのメッセージ

【行かねばなりません、しかし―ー】(2024年12月8日)

〈ルカ福音書14:14-35〉,前橋中部教会主日礼拝説教(要旨) 堀江知己牧師

私たちも御国で開かれる宴会に招かれており、そしてそれを断っています。え、いつ断ったか、と思われるでしょうか? しかし、これまでも、そして今も断り続けています。私たちは御国を待ち望んでいます。それこそ、「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう」といった気持ちです。天になるごとく御国を地にもなさせたまえと祈りますし、主よ来たりませとも告白します。しかし、今はその時ではない、と考えています。招待を受けた人たちも、神の国での宴会を、完全に断るつもりだったわけではありません。「主よ、畑を見に行ったあとで、そちらに向かいます」「家畜の様子を調べましたら、ぜひご招待に応じさせてください」。彼らは自分の用が済み、思い残すことがなくなれば、神の国で食事をする予定でした。よって彼らは、私たちのことです。私たちも信仰を持ち、神の子どもとさせられた時点で、神の御国での宴会の招待状を受け取りました。そして、天の御国に行って食事をすることを望みながら、しかしまだその時ではない、と断ってしまうのです。もし、余命を宣告されたら、まだ自分は死ねない、まだ御国に上る時ではないと思ってしまうに違いなく、生きたいと望むはずです。パウロもそういう気持ちを持っていましたが(フィリ1:25)、天の御国で宴会にあずかることの方が、はるかにすばらしいことを知っていました。私たちもこの世での務めがあり、未練があるとしても、使徒のように強い信仰を持てれば、御国において、地上では叶えられなかったことを、違ったかたちで、それどころかはるかにすばらしいかたちで叶えることができると信じます。神が御国で振る舞ってくださる食事とは、そういう御恵みの味がするはずです。「この世ではやり残したことはあっても、主が私の代わりに最善を尽くしてくださる」といった喜びを、神が振る舞ってくださる食事を食べることによって味わいましょう。主のお招きがかかったならば――主よ、私は畑の世話があるので、妻と家族の世話があるので見に行かねばならないのですが・・・・・・しかし、あなたがお呼びでしたら、行かなければならないのですね!  


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