【また父さんに対しても】(2024年12月29日)
〈ルカ福音書15:11-32〉,前橋中部教会主日礼拝説教(要旨) 堀江知己牧師
私たちの神は、御父と呼ばれますが、どれほど人間味があり、またこう言って許されれば、どれほど親ばかなのでしょう。もろもろの御恵みを自分のために利用し、すべて使い尽くしてしまうような私たちを、ご自身の方から迎えてくださるのですか(ホセ11:8)。改心した放蕩息子と一緒に言いましょう。「天に対しても、またお父さんに対しても」(21)と。その第一声は、「お父さんに対して」ではありませんでした。実害を被ったのは父親であったはずです。しかし、息子には、自分が罪を犯したのは父親に対して以上に、神に対してであるという気持ちがあり、その気持ちが言葉に出ています。天の御父によって、自分の罪が赦されるのだとしたら、私たちは覚えておきましょう。自分は罪を犯すとき、何よりも天の神に対して罪を犯すのだということを。私たちはお互いに罪を犯し合いますが、実害を被るのは、私たちが罪を犯した相手である隣人であって、主ご自身ではありません。しかし、隣人に対して罪を犯したことを、主イエスはご自身に対して罪を犯したことととらえてくださいます(マタ25:45)。しかし、帰ってきた息子が咄嗟に口に出した言葉から、私たちはさらに学ばされます。私たちが罪を犯す時、まずは天の神、主に罪を犯しているということを。この自覚があってはじめて、神の方から私たちの罪を赦してくださいます。自分が神に対して罪を犯しているのだと自覚していなければ、自覚していないその神に対する罪の赦しはありえず、神がその罪を赦してくださることはありません。よって今日、それぞれ隣人に対して犯した罪を思い返し、自分は何よりも主よ、あなたに罪を犯しましたと告白することにいたしましょう。隣人に対して罪を犯すよりも前に、主よ、あなたに対して罪を犯しました。その自覚が芽生えれば、主は私たちの罪を赦してくださり、そしてその結果、私たち信仰者の間に、主にある平和が行き渡ると信じます。