メッセージ(礼拝説教要旨) 最新版 先週までのメッセージ

【末席へと我先に】(2024年12月1日)

〈ルカ福音書14:1-14〉,前橋中部教会主日礼拝説教(要旨) 堀江知己牧師

 「安息日に病気を治すことは律法で許されているか」。おそらく、律法では許されていなかったのでしょう。もし、安息日に病気を治すことが許されていたとしたら、主がなさったことを、ファリサイ派の人々が文句を言うこともなかったでしょうから。少なくとも、今日命が尽きる危険がないのだとしたら、次の日に癒せばよかったということにもなります(ルカ13:14)。しかし、主は、「律法であれ掟であれ、規則であれ定めであれ、人を憐れみ、助けることを優先すべきではないか」とお問いかけになりました。「人々はイエスの様子をうかがってい」(1)ましたが、様子をうかがわれていたのは、実は彼らの方でした。主は、ファリサイ派の人たちに対し、「安息日に――」との質問でもって、彼らがどうそれに答えるのか、どう考えているのか、どう行動に出るのか、その様子をうかがっておられました。主は私たちの様子もうかがっておられます。「規則や決まり事、いや、神の律法にさえも、憐れみを施すことは優先するのではないか? このことをあなたはどう考えるか?」と。「人から招待を受けたら、末席に行って座りなさい」。なかなか人から招待されない人もいるでしょう。しかし、御国に招待されていない人はいません。そして、主が御国の中心へと招かれても、自ら御国の末席に座ろうとする心構えができているかどうか? パウロは、自分が使徒たちの中で一番小さな者だと自覚していましたが、おそらく、自分は信仰者たちの中で一番小さな者だとも自覚していたでしょう(一コリ15:9)。しかし、自分が御国に招待されていたことは、信じていたはずです。私たちも御国に招待を受けた尊い者たちです。しかし、御国では末席に座らねばならないような者だ――私たちはそれぞれ己の罪を考えると、そう思い知らされるのではないでしょうか? それぞれの者が、自分は末席に座らねばならないと自覚しなければならず、皆、我先にと末席へと走りましょう。そして、皆が末席に座った結果、全ての席が末席となり、末席か上席かの区別がなくなるよういたしましょう。


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