メッセージ(礼拝説教要旨) 最新版 先週までのメッセージ

【目の特効薬】(2024年10月6日)

〈ルカによる福音書11:29-36〉,前橋中部教会主日礼拝説教(要旨) 堀江知己牧師

 主はとりわけ滅びを言い渡す宣教者として、ヨナを例に引いておられます。よって、主も、滅びを言い渡す宣教者以外ではないことを伝えようとされています。しかし、ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて悔い改めました。よって主も、私たちが悔い改めれば、裁きを思い直してくださいます。そして、主はヨナよりも偉大な人物でした(32)。ヨナは自分が告げ知らせたことを、神によって一方的に覆され、すねてしまいました。主は真剣に裁きの言葉を告げられましたが、ご自身告げたことが実現しないことを願われております。その点、主はヨナよりもはるかに偉大です。「ともし火」(33)とは、御言葉のことではないかと思われます。しかし、主は、あなたの体のともし火は目であるとも言っておられます。目が澄んで(34)いたレア(創29:17)は、その心が澄んではいませんでした。一方、目が悪かったとされるパウロ(ガラ4:15)以上に、心の目が澄んでいた人はおりません。目を澄んだ状態に保つためには、どうすればよいのでしょう。私たちは物を見ることができますが、その物を造られた神を見ることができません(イザ1:3)。どうしたら目は澄むのか? よく見えない目に効く特効薬があります(黙3:17)! その目薬は御言葉のことだと思います。それは教会で手に入れることができます。その目薬をつけましょう。するとまず見えてくるものは? 主に癒された盲人(マタ9:29)は、最初に目の前におられた主イエスが見えたはずです。主は御言葉を目薬のように用いて、私たちの目を開いてくださいます。そして最初に見えるものは、目の前に立っておられる主でなくてはなりません。しかし、そのお姿をしげしげと観賞しているだけならば、意味がありません。主を見るということは、主が神であられるのを理解することです。開かれた心の目で見、ああこのお方が救い主なのだと、主のお姿を見ることにいたしましょう。目薬は一度つけるのではなく、病気を防ぐためには定期的につける必要があります。私たちは毎週のように、御言葉という目薬を教会でつけて、目がよく見える状態を維持したいものです。


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