メッセージ(礼拝説教要旨) 最新版 先週までのメッセージ

【どのように励ましておられるか?】(2023年9月3日)

〈ルカによる福音書3:21-4:2〉,前橋中部教会主日礼拝説教(要旨) 堀江知己牧師

主の上に降ってこられた聖霊は、十字架の死に至るまで主の御もとに留まり、そして主が全ての御業を終えられた後、天へと上っていかれたのかもしれません(ルカ23:46)。主が十字架で息を引き取られた際に、鳩の形をした聖霊が、「あなたは私の愛する子」とのお言葉を再び響かせながら天へと帰っていかれ、そして十字架の一番近くにいた百人隊長はそれを見て聞いたからこそ、告白したのかもしれません、「アーメン、この人は神の子」(マコ15:39)と。主が公生涯に入られた際と、主が死なれた際に、もし聖霊による同じ言葉が響いたのだとすれば、それは、キリストが終始神の愛する御子であられ、またそのことを私たち自身、終始信じなくてはならない、といったことを教えるためであるのかもしれません。あるいは、ヨハネが驚いたように(マタ3:14)、メシアが人間によって洗礼を受けられたことは、躓きとなりかねません。よって聖霊がわざわざ降りてこられ、証言を果たしてくださいました。一方で、主が十字架上で何もできなかった(マタ27:42)ことも、やはり躓いを与えかねません。そのような時だったからこそ、聖霊がご証言くださったのかもしれません。「これは私の愛する子」と。聖霊は、人が最も躓きやすい時、折に適ってご証言くださいます。私たちも躓きかけてしまう時、聖霊によるこのお言葉を思い起こしましょう。主は試練に遭われましたが、それは、御子が御父から愛されていた紛れもない証拠です(ヘブ12:6)。私たちが試練に遭うのも、御父から愛されている証拠です。試練の最中にあって、聖霊も励ましてくださっています(ヨハ14:26)。「あなたは私の愛する子!」と。そう、私たちもまた、神が愛しておられる神の子どもたちです(ロマ8:16)。聖霊によるこの証言を、自分に向けられたものとして聞くことができるとしたら、いかなる試練であれ、もう乗り越えたのも同じです! 


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