メッセージ(礼拝説教要旨) 最新版 先週までのメッセージ

【ほかの町に行かれるのでしたら】(2023年9月17日)

〈ルカ福音書4:31-44〉,前橋中部教会主日礼拝説教(要旨) 堀江知己牧師

 人々は、自分たちから離れて行かないようにと、主をしきりに引き止めました。しかし主は、「他の町にも神の国の福音を告げ知らせねば」と離れて行かれました。主は万人のための救い主です。とはいえ私たちは、主が別の町へと、あるいは別の人のところへ行かれるのを引き止めず、むしろ喜んで送り出すことができるでしょうか? 主に従う人には、犠牲が求められていますが、犠牲に耐えるとしても、それは、永遠の命が与えられるといった希望があるからではないでしょうか? それなのに、霊の命をくださるお方が、他人を救おうと自分を離れて行くのを、心から望めるのかどうか? 「同胞の(救いの)ためならば、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています」(ロマ9:3)。衝撃的な発言。使徒としても、キリストに結びつくためにこそ、この世では犠牲の道を歩んでいたはずです。主がお求めになられている犠牲の精神を突き詰めていくと、パウロのようになれるのでしょう。私たちの中には、永遠の命にあずかるために、この世で苦難に耐えることができる人もいるかもしれませんし、むしろ皆そうならねばなりません。しかし、隣人が救われるためとはいえ、信仰者にとっての唯一の希望である天の命をさえ犠牲にしてよいとしたら、信仰者としてどんなモチベーションで歩めばよいのでしょうか? 兄弟たちが永遠の命を受け取るならば、自分が受け取らなくてもよい――なんという犠牲の精神! 少しでもその精神に近づくようにと、主が今日、他の町へと向かおうとされていると聞かされたからには、お引き止めしてはなりません。「主よ、ぜひ行ってください、同胞が救われるためならば、私は――」。?偽りなくこのような気持ちで主を見送ることができるとしたら、もはやその時の私たちは、献身と犠牲の精神の頂点を極めた、神の聖者となっています!


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