メッセージ(礼拝説教要旨) 最新版 先週までのメッセージ

【わたしにも聞かせておくれ】(2023年8月20日)

〈雅歌8:6-14〉,前橋中部教会主日礼拝説教(要旨) 堀江知己牧師

 死は個々の人生と、人の間の絆を絶ち切ります。恐ろしくて強い死に、愛は匹敵するとのこと(6)。死を倒せるのは、死に匹敵する愛だけです。主の愛こそが、死を滅ぼしてくださいました(一ヨハ3:16)。では両者が互角ならば、主の愛も共倒れになって滅んでしまったのか? かりに、主の愛が、死が死ぬのと同時に死んでしまったとしたら、私たちの愛でそれを補いましょう(ヨハ15:12)。しかしこの直後、愛について捉え直されています。「大水」は、ノアの時代に世を滅ぼした洪水であり、世が造られる前、闇をうごめいていた水のことです(創1:2)。その水は混沌、深淵そのものであり、陰府と死を象徴します。その大水でさえも、愛を押し流すことはできない。なぜか? 大水が、ノアの時代、世を滅ぼすことができたのは、それが世が造られる前に存在していたからなのかもしれません。だとすると、その大水さえも愛を消せないのは、主の愛が、私たちが胎に造られる前に、いえ、世が創造される前に存在していたからです(エレ1:5)。死であれ陰府であれ、主の私たちへの愛の炎は消せません! これほどまでに、主が各々に降り注がれる愛は大きい。この愛の前には、自分以外の兄弟姉妹は片隅に追いやられているかのよう。おとめにとっても、常に兄弟姉妹はかやの外であり、応援席で声を上げる観客にすぎませんでした。しかし、そうではないと気づかされます。若者にはその声が聞こえないのに、友はそれに聞いている。なぜか? 若者よりも友の方が傍にいたからです。兄弟姉妹なしで主と結ばれることはできません。主が私たちに引かれるのは、私たちが互いに兄弟姉妹に甘い声、つまり愛を実践していることによります。兄弟を愛し、励まし合う中で、花婿も「どれどれ私にも聞かせておくれ」と近づいてこられます!


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