メッセージ(礼拝説教要旨) 最新版 先週までのメッセージ

【美しい人】(2023年7月2日)

〈雅歌2:8-17〉,前橋中部教会主日礼拝説教(要旨) 堀江知己牧師

若者が戸を叩いても、おとめは部屋に入れてあげませんでした。二人に距離が生じています。救い主の訪れは希望の象徴(11)。主の甦りは、春の訪れそのもの。イースターが春であることに、今更のように気づかされます。「悔い改めよ。私は戸をたたいている」(黙3:19)。おとめも自分の罪のせいで、若者と仲違いしています。よって、おとめは若者を求めつつも、裁かれるのを恐れており、怖いのです。扉に鍵をかけていたのは、おとめ自身。おとめは狐たちをも恐れています。教会を荒らす人たち(使20:29)、いや、自分と神との間に分け入ろうとする、様々な誘惑を恐れていました。主の弟子たちも、きっと裁かれると恐れていました。さらに、狐に譬えられるユダヤ人を恐れて、部屋に鍵をかけていました。しかし主は言われます。お前は美しい(10)。これは、部屋からおびき出すための誘い文句か? 神は、貧弱であったイスラエルの民を愛されました(申7:7)。誰かを心から愛する者にとって、その相手が本当に美しく見えるものなのか? 罪悪感を抱き、岩陰で怯え、服は汚れ顔に傷がある。そのような醜い姿のおとめを、美しいと言ってくれたのは、若者がおとめを愛していたからです。教会は罪人の集まりであり、客観的には醜い姿なのかもしれません。しかし主は、私たちを美しいと御覧になっておられます。そしてそれは、私たちを愛しておられるからです(エフェ5:25)。しかし、おとめよ、汝はまだ怯えているのか? 夕べの風が騒ぐ前に――復活の主が、弟子たちを訪れたのも夕方。弟子たちは扉を開く勇気がない。すると主は、鍵のかかった部屋の中に入ってこられた。結局、誰であれ扉を自分で開けることはできません。主の先行の恵みこそが、内なる扉を開いてくださいます! もし、主と出会えているとしたら、主が一方的に扉を開いてくださったからです。それほどまでに自分は愛されている――この甘き感覚に満たされましょう!


メッセージ一覧に戻る