メッセージ(礼拝説教要旨) 最新版 先週までのメッセージ

【かもしかにかけて】(2023年6月25日)

〈雅歌2:1-7〉,前橋中部教会主日礼拝説教(要旨) 堀江知己牧師

おとめの自意識は、若者もそうだと認めてくれるものでした(1-2)。私たちも自分について、主が認めてくださる限りにおいて誇りましょう(二コリ10:13)。とはいえ、自分を美しく際立たせてくれるものはあります。野のゆりにとって、その周りを囲む醜い茨がそうでした。ソロモンの栄華に勝る教会(マタ6:29)は、茨に囲まれてこそ美しい。教会の周りには、迫害を受けた証人たち(ヘブ11:35・証人たち自身が茨ではなく)が囲んでいます。しかしこの箇所では、迫害にもまれる教会が描かれています。苦難、災い、悲運、試練――これらのものに、古来教会は囲まれてきたからこそ、一際輝いて見えたのです。苦難は何のためか? 私たちをより美しく輝かせるためなのです! ですから苦難を大いに誇りましょう(ロマ5:3)。「かもしかにかけて――」(7)。神は愛(一ヨハ4:16)ですから、「神がそれを望むまでは、神を呼び覚まさないように」と言い替えられます。神の御心でなければ、何事も求めてはなりません。一方で、神の御心はすぐに分からないのですから、神がそうしてくださるまでひたすら待つ必要があります。かもしかはとても目がよい動物であるとのこと。目が良い、目配りがきく――実に目配りがきいていたかもしかがいました(使9:36)。あの女性にかけて誓うとは? 功績、賜物――これらは、えてして愛なる神を呼び覚まさせようとしてしまいます。「主よ、こんな働きをした私に、あなたは何をくださいますか?」と。この婦人にかけて誓いましょう。たとえあなたのような優れた働きがあるとしても、決して神の見返りを求めませんと。さらに、かもしかにかけて誓うのは、傍にその動物がいるからです。私たちの周りにもかもしかがたくさんいます。それは何よりも、聖書に出てくる聖人、使徒たちです。彼らに見習い、自分もかもしかへと成長し、自分の良い行いをいわば証人として立たせ、主のご到来を待ち望みたいものです!


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