【待っていなさい】(2023年6月11日)
〈雅歌1:7-8〉,前橋中部教会主日礼拝説教(要旨) 堀江知己牧師
おとめたちとは誰なのでしょう? それは、おとめの友人であり、また、おとめに教えていることから、おとめの先輩、あるいは、花嫁の付添人のようなものです。「どこかわからないのなら、群れの足跡をたどって羊飼いの小屋に行き、そこであなたの子山羊に草をはませていなさい」(8)。おとめたちは、どこに行けば花婿に会えるのかを教えています。一方、おとめとは教会のことであり、また、教会に属する私たち一人一人のことだとすると、私たちに対し、どこに行けば花婿キリストに会えるかを教えてくれる人たちとは、一体誰でしょうか? 聖書です(ヨハ5:39)。律法・預言(=聖書)の総決算であるヨハネは(マタ11:13)、花婿の介添人でした(ヨハ3:29)。雅歌に登場するおとめたちとは、聖書のことであると同時に、花嫁側の介添人です。私たちにとっては、旧約に新約聖書という名のおとめたちが新たに輪に加わって、随分と賑やかにキリストへと導いてくれています。では聖書は、私たちが道に迷った時、どうアドバイスするのでしょう? キリストが牧する群れとは、兄弟姉妹と言っても間違いではありませんが、その群れはおとめの先を行っている存在でもありますから、教会における世々の聖徒たちのことです。先達者たちの足跡を追って行くようにと、その生き方に倣い、証しに学びなさいと、聖書はアドバイスを送っています。さらに、私たち自身、羊飼いの小屋に辿り着いた際には、自分の子山羊が傍にいなくてはなりません。それは、私たちが一人一人、伝道していく相手です。私たち自身、キリストがいますところに辿り着けば、先達者となっていなくてはなりません。そして、「草をはませていなさい」。先にそこに到着し、伝道し牧会しながら、花婿の到来を待っていなくてはなりません。マラナ・タ、主よ、来たりませ(一コリ13:22)! 聖書の証人たちはそう叫んでいます。私たちもその声に負けないくらい、大きくそう叫びましょう!