メッセージ(礼拝説教要旨) 最新版 先週までのメッセージ

【羊飼いは嫌われ者】(2023年5月7日)

〈創世記46:8-47:12〉,前橋中部教会主日礼拝説教(要旨) 堀江知己牧師

 家畜の群れを飼う者――兄弟たちに対し、そう言うように進言したヨセフでしたが、イスラエルの民が先祖代々羊飼いというのは、本当のことだったのでしょうか? 肉のイスラエルの民が先祖代々羊飼いであったとすれば、霊のイスラエルの民の一員となるためには、必ず霊の羊飼いとならねばならない、と理解してよいと思います。ダビデは本物の羊飼いでしたが、ダビデの子孫である主イエスは霊の羊飼いでした(ヨハ10:11)。ペトロも、主によって霊の羊飼いに任職されました(ヨハ21:17)。私たちは皆、伝道牧会の御業が託されている者として、霊の羊飼いとならねばなりません。しかし、羊飼いはなぜ、エジプト人が嫌う者たちだったのでしょう? 霊の羊飼いとは、人の魂を神へと導こうとする者のことです。こういった人を、(聖書における)エジプト人(がそれとなく象徴する)サタンは嫌います。ならばぜひとも嫌ってもらいましょう。ヤコブはファラオに言いました。「私の生涯の年月は短く、苦しみ多く」(9)。実際、ヤコブの生涯は労苦そのものでした。しかし、ヤコブは創世記において、「章」といった点では、一番長く記されているのです。ヤコブは、なんと創世記の半分の歴史に関わっています。私は思います。労苦に満ちた歩みであればあるほど、それだけ多く、聖なる文書に刻まれるのではないか、と。栄華を極めたソロモンはどうだったでしょう。その究めた栄華の内容は、大層短く記されているではありませんか(王上5:1-14)。私たちが伝道していくのは、喜びに満ちた業としてであるはずです。しかし、それが苦難に満ちた業であるからこそ、信仰者たちのその働きが、見えざる神の書に一つ一つ記されていくのだと思います。苦難に満ちれば満ちるほど、神の書は私たちのことを包み込んでくれます。ですから誇りましょう、苦難に遭えば遭うほど、その苦難を! なぜならその分だけ、神の書に私たちのことが刻まれるのですから!


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