【お出迎えの車】(2023年4月30日)
〈創世記45:26-46:7〉,前橋中部教会主日礼拝説教(要旨) 堀江知己牧師
ヤコブたちは、生きるために仕方なくエジプトに下ります。同時に、父としてはヨセフに会って元気を取り戻し、いわば生き返るために下ります。ヨセフが呼んだのは、喜びと苦しみ(創15:13)が待つ所です。主が招いておられるのも、安らぎの場(マタ11:28)であると同時に、苦難が待ち受けている場(マタ16:24)です。なぜ苦しみもある場へと赴くのか。御言葉によって自分の罪に目覚めさせられると、そこに見えるはずなのです、自分を含め、罪がそこら中に広がっているのが。まるで周りの被造物も、共にうめき声を上げているかのように聞こえます(ロマ8:22)。被造物全体のうめき声がする所。そこに救い主も留まってくださり、そして私たちをそこへと招かれます。だから言います、「私は行こう」(28)と。高齢のヤコブは、ヨセフが送った車に乗り、そしてその後それを貰い、事あるごとに乗り続けたのではないか? 主も私たちに車を遣わされます。人には皆、主がいます場所に赴く際に、何かのきっかけがあると思います。病気、挫折、失恋、災害の体験、大切な人の死・・・それらのきっかけは、私たちを招くため、主がご用意された乗り物のよう。そしてそれらは、それぞれ生涯忘れられぬものではないでしょうか? 車を所々修理し改造していくかのように、導かれるためのきっかけは所々変えられ、新たな要素が付け加えられるにしても、生涯自分から離れないものだと思います。主が最初にご用意くださった車を、私たちは生涯乗り続けます。新古車のままにしてはなりません。むしろそれに乗って存分に働き、その車を乗り潰しましょう! もうエジプトから出る際には動かなくなるくらいに。しかしご安心ください、私たちが祖国へと戻って行く際には、主が新車をご用意くださいます! それは天へと運ぶための専用車(王下2:11)。その車がお出迎えにくれば、それに乗り、天の軍勢に囲まれながら、天へと駆け上っていきましょう!