【お父さんはまだ生きておられますか?】(2023年4月23日)
〈創世記45:3-28〉,前橋中部教会主日礼拝説教(要旨) 堀江知己牧師
「お父さんはまだ生きておられますか?」(3)ヨセフはこれまでも繰り返し、兄弟たちにそれとなく父の安否を尋ねていましたが、とりわけ宴が開かれる前、つまり、彼が正体を明かした同じ日に、同じ質問をしているわけですから、これは口癖でなくて何でありましょう。しかし、なぜそんなにも父親のことが気になっていたのでしょう? 自分にあんなにもひどいことをしでかした兄弟たちが、父親にひどい扱いをしているのではないか、本当に心配だったのでしょう。また、もし兄弟たちが父を大切にしていれば、彼らは神の掟を大切にしており(出20:12)、信仰が生きていることが分かったからでしょう。キリストは、私たちに会うたびに、なんと問いかけてこられるのでしょうか? 「あなたの父はまだ生きておられるか?」 実にこれこそが、私たちに対する毎回の主の一言目です! 確かに、神は昔も今も生きておられるお方ですから、この問いかけは本来不要です。しかし、本当にこの私たちの中で、御父は生きておられるのか? 勝手に神を無き者としてしまってはいないだろうか(詩14:1)。さらに、御父が生きておられるということは、キリストが生きておられるということでもあります(ヨハ12:45)。だとすると主はこう尋ねてこられるのと同じです。「どうだ、あなたの中で、この私はまだ生きているか?」信仰者として失格者となった場合、キリストは私たちの内に生きてはおりません(二コリ13:5)。この問いかけに、誰しも内心ギクッとするのではないでしょうか。「はい、生きております!」と確信をもって言えるとしたら、とてもすばらしいことです。では、主が自分の中で生きられるためには、どうすればよいのでしょう? 愛にとどまることです(一ヨハ4:16)。兄弟を愛し、隣人を愛する。この愛にとどまる人には、主がその内で生きてくださいます。ですから兄弟同士、愛し合う間柄となるよう大いに努めようではありませんか!