【大声で泣いた】(2023年4月16日)
〈創世記44:1-45:2〉,前橋中部教会主日礼拝説教(要旨) 堀江知己牧師
「父の魂はこの子の魂と堅く結ばれている」(31)。この世の親子がこれほどまでに一つに結ばれ得るのだとしたら、御父と御子はなおさら強く一つに結ばれています(ヨハ17:22)。さらに、「私たちが一つであるように、彼らも一つになる」(同23)とあるように、神は私たちと一つになってくださり、私たちの苦しみをご自分の苦しみとし、反対に、私たちの良き働きを見て、うれし涙を流してくださいます。ユダの捨て身の覚悟は、ヨセフの心を激しく動かします。ヨセフはその場で泣き崩れました。今回の涙の原因は何だったのか? ユダに、そしておそらく他の兄弟たちに、本気で悔い改める姿を見たからです。そして、ヨセフの泣き声は本当に大きかったようで、エジプト中に伝わり、ファラオもエジプトの人々もまた、イスラエルの民を温かく迎えてあげることに繋がりました。私たちも、誰かのために犠牲になる覚悟を持てば、主も大声で泣いてくださいます! その泣き声は、エジプトならぬ世界中に伝わります。その結果、世の人々は動かざるをえません。私たちが良い働きをしたからといって、どうしてこの広い世界を変えるのか? しかし、そもそもそういった方法で、世を変えていくのではないのです。私たちの良い働きをご覧になられた主が、まず大声で泣かれる。なぜなら、私たちの神は、私たちと一つになって痛みを感じ、感動を覚えてくださるお方なのだから。そしてその天上の泣き声が、世の人々に届く。その結果、世の人々は動かざるをえない。確かに、回心に導くということではありませんが、世人が私たちに同情を抱き、好感を寄せ、私たちに悪を行うことがないとしたら、それはどんなに願わしいことでしょう! 私たちは、世を変えるために間接的な働きしかできません。しかし世のために祈り、世のために大いに良き働きをなして、主に感動の大粒の涙を流していただこうではありませんか、世が平和に造り変えられるために!