【王の誕生日における恩赦】(2023年3月5日)
〈創世記40章〉,前橋中部教会主日礼拝説教(要旨) 堀江知己牧師
給仕役の長と料理役の長――察するに、二人は牢獄での悔い改めの態度が違っており、それが後の運命を分けることになりました。後者のように、罪に覚えがある者で、悔い改めのない人には、安らぎの夢は与えられません(ヨブ7:13)。あるいは、料理役の長は、ファラオが自分をきっと裁くと本心から恐れていた。そしてその不安と恐怖が夢に現れた。一方給仕役の長は、ファラオが自分を憐れんでくれることを願っており、その願いが夢に出た。「頭を上げる」とは、首を上げて顔を見るという意味かもしれません。二人は、ファラオに対する(恐怖or信頼の)気持ちが体、いえ顔に表れてしまったのでしょう。人間は、自分に対する相手の態度や顔の表情を見て、その相手に対する自分の行動を決めたりするものです。ある主人から商売するようにとタラントンを分け与えられた僕のうち、一人の僕は主人に対し、恐ろしいイメージを抱いており、そのイメージ通りに罰せられてしまいました(詩18:26、マタ25:24)。主を恐ろしいお方だと信じていれば、主もお気持ちを害され、私たちを赦すお気持ちにはなれません(一ヨハ4:18)。主は憐れみ深いお方(一ペト2:3)だと信じていれば、主も憐れみのお姿を現してくださり、私たちを立ち上がらせ、務めに復帰させ、新しい使命を与えてくださいます。そう信じ、主の御前にあって頭を、いえ心を高く上げましょう! 昔の王が己の誕生日に恩赦を施していたとすれば、王たちの王なる神は、ご自分のお誕生日にどれほど人々を憐れんでくださることでしょう。「私は今日あなたを産んだ」(ヘブ1:5)。これは「いつも」という意味。主に誕生日はありませんが、それは今日も昨日も明日も誕生日だから。「捕らわれ人に解放を。この言葉は今日実現した」(ルカ4:18)。今日こそ恩赦が行われる主のご誕生日。罪の縄目から解かれるために、ぜひ心を高く上げましょう!