メッセージ(礼拝説教要旨) 最新版 先週までのメッセージ

【遠ざかって泣いたのは】(2023年3月26日)

〈創世記42:1-35〉,前橋中部教会主日礼拝説教(要旨) 堀江知己牧師

兄弟たちを諌めるルベンの言葉を聞いたヨセフは、一体何を思って泣いたのでしょうか? ルベンとてヨセフを奴隷として売ろうとしたのですから、事実上ほかの兄弟たちと同罪でした。人は皆、災難が降りかかった時、己の罪よりも他人の罪が目立って見えてしまうものです。主は、私たちが兄弟同士、罪を互いになすりつけ合うのをご覧になれば、大変お嘆きになります。罪をなすりつけ合うことは、悔い改めてはいない証拠だからです。アダムとイヴの罪は、責任逃れをし、互いに相手に罪をなすりつけることから始まりました。「あの人のせいだ」「だから自分は予めああ言ってやったんだ」――こう思いたくなるときには、ぜひ思い起こしましょう、そういった自分から主は遠く離れ、奥まった部屋で泣かれているということを。汝の罪深さを嘆いて! 主の涙を思い浮かべ、真の悔い改めに導かれましょう! ヨセフが兄たちの袋に銀を返したのには、どんな意味があったのか? 兄弟たちが正直にそれを持ち帰ってくるか試すためか? あるいはヨセフとしては、兄たち、とりわけ愛する父と弟に対し、少しでも暮らしを助けようとして、銀を袋に返しておいたのではないか? 主はそういったお方です。私たちは主から多くをいただき、それをもって伝道の働きをし、収穫の実りを主にお納めします。しかし、主は良き働き人たちに対し、さらに大きなものを与えてくださいます(マタ25:21)。ヨセフの兄弟たちは、捧げるために持ってきたものを、いわば二倍にして返されましたが、主は二倍どころか三十倍、六十倍、百倍にして返してくださいます。私たちも、主のためにすべてを献げ尽くすことができるようになりたいものですが、それができなければ、せめて今よりも少しでも多くの時間を主のために費やし、今よりも少しでも多くを献げるように努力いたしましょう! そうすれば、その差額分を何倍にもして、主は私たちに返してくださるはずです!


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