【ここに種があるから蒔きなさい】(2023年3月19日)
〈創世記41:47-57、47:13-26〉,前橋中部教会主日礼拝説教(要旨) 堀江知己牧師
七年間の大豊作と、その後に続く七年間の飢饉は、ヨセフの予告どおりでした。しかし、預言であれ警告であれ、一体何のためにあるというのでしょうか? ヨセフの預言はファラオの宮廷にて披露されたのですから、ファラオ一人ではなく、宮廷の役人も一緒に聞いていたはずです。だとしますと、ヨセフの預言は瞬く間に一般の人々にも広がっていったと思われます。ヨセフの預言は広く知らされていたのですから、宮廷の人々であれ民であれ、七年間の大豊作の間に、穀物をできるだけ蓄えておくべきでした。しかし人々は、ヨセフの予告を真剣に受け止めていなかったのでしょう。豊作の七年間はあっという間にすぎ、人々は豊かな生活を送っただけでした。そこに大飢饉がやってきて、皆飢えてしまい、それぞれ土地を売らねばならなくなり、そして、ヨセフの采配によって、ファラオの奴隷となってしまいますが、だとしてもそれは、人々自身、神の預言者の忠告に真摯に向き合(参.ヨナ3:5)わなかったことに責任があります。パウロは、神の御言葉を預かる管理者として、ある人たちを悪しきファラオなるサタンの奴隷としました(一テモ1:19)。滅びを防ぐための御言葉に聞くことなく、正しい良心を捨て、信仰を捨てる人は、サタンに身を売られてしまいます。ですから私たちも、御言葉が豊富にある内に、御言葉にあずかりましょう! 光がある間に、光の内を歩みましょう(ヨハ12:35)! そうすれば、主は私たちを、悪しきファラオなるサタンの奴隷などにさせることはありません。むしろ私たちたちは、ヨセフ以上に賢く憐れみ深いお方から、御言葉という種をいただくことになります。「ここに種があるから、畑に蒔きなさい」(23)。御言葉という種をいただき、それを存分に蒔き、実り豊かな収穫の働きにあずからせていただきましょう!