メッセージ(礼拝説教要旨) 最新版 先週までのメッセージ

【願いが込められた名】(2023年2月5日)

〈創世記35:5-36章〉,前橋中部教会主日礼拝説教(要旨) 堀江知己牧師

 ルベンが罪を犯したのは、おそらくビルハの女主人ラケルがいなくなったことによっています。私たちも、自分を制御する主人がいなくなれば、悪に突っ走ってしまいます。なおさら真の主人、神を忘れてしまえばそうなります。ヤコブという名がイスラエルに変えられますが、名の変更は存在そのものの変化を意味します。そしてもう一人の名が(18)。ラケルは苦しみのあまり、生まれて来る子に対して災いの名をつけてしまいましたが、父はそれを少し変えて意味を幸いへと逆転させました。本来、親であれば子に幸いの意味の名をつけるはず。なぜならその子の幸いを願っているから。私たちはキリストを通して新しく生まれ変わるとしても、生まれ持った体のまま、そして人格を保ったままです。あたかもそれは、これまでの名が少しだけ変えられたかのようですが、外面的には多少の変化であっても、存在の意味合いは大きく変わっているはずです。私たちはそれぞれ名を持っていますが、もしかしたら、神はそれぞれの名に小さな変更を加え、霊の上で幸いな名へと変えていてくださっているのかもしれません。羊飼いはその名を呼んでくださいます(ヨハ10:3)! そして、御父は一人一人、別々な仕方で名(=存在)を変えられます。アブラハムには「ハ」がつけられ、サライは「イ」が取り除かれ、サウルは「サ」から「パ」に変わったように。御父は新しき存在へと私たちを変えられますが、その人ごとに、「この子にはこういった部分を捨てさせよう」とか、「この子にはこの足りないところを補おう」といったように、それぞれ個別の方針を立てて生まれ変わらせてくださいます。しかし、全ての神の子どもたちにとって共通なのは、御父は私たち子どもの幸いを願い――この世の父が子の幸いを願って幸いな名をつけるように――、必ず幸いな名へと、幸いな存在へと変えてくださるということです!


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