【輪になっての話し合い】(2023年1月29日)
〈創世記34:1-35:4〉,前橋中部教会主日礼拝説教(要旨) 堀江知己牧師
ヤコブの娘ディナが暴力を受けたのは許されないこととはいえ、そもそもディナが土地の娘たちに会いに出かけたこと自体が非難されています。民にとって、異教の土地の慣習が信仰を腐敗させる誘惑となったからです(申7:3)。旧約における異教徒との交流禁止を、私たちの問題として置き換えるならば、「悪しき思いを捨て去り、それとは関係を持ってはならない」といった点に尽きます。殺人、姦淫、盗みの思い。これらと関わりを持てば身に災いが及んでしまい、信仰的にも深く傷ついてしまいます。ヤコブは激しい憎しみに駆られていたはずですが、冷静を保ち、黙って息子たちを待っていました。おそらく事を一人で起こさぬよう決めていたからです。主は弟子たち聖徒たちに、御国のご支配にあずかるのをお約束されました(マタ19:28)。代々の聖徒たちは、いわば主を中心とし輪になって話し合いをし、御国を取り仕切っていることになりますが、逆に言うと、主は聖徒たちとの話し合いの末に行動されます。私たちの中の一人に何か悲しい出来事が起こった時、主も当然悲しくお思いになられますが、主は膝を囲んで私たちと話し合ってくださいます。どうしたらよいものかと。少なくとも主は復讐を望んではおられません。この後ヤコブは神の家に上って行きますが、その際に異教の神々の像を焼き払います。今回の出来事を全員の共同責任とし、異教の神々を捨てさせた後で神の御前に共に上って行きました。私たち自身の罪が元で災いが及ぶ時、主は中心になって嘆いてくださいます。その後で主は私たちを励まし、一歩前進させてくださいますが、その際に、共同責任として等しく私たちから悪の要素を捨てるようにご指示なさいます。ですから深い懺悔とともに、悪の思いを主に焼き払っていただきましょう! その後、主は天へと私たちを導いてくださいますから、それについて参りましょう!