メッセージ(礼拝説教要旨) 最新版 先週までのメッセージ

【さっと離れ、ぱっと追いかける】(2023年3月31日)

〈ルカによる福音書9:11-17〉,前橋中部教会主日礼拝説教(要旨) 堀江知己牧師

伝道師の頃、牧師家庭のペットであった雌犬のラブラドールを、私は大変可愛がっていました。しかし、時に私のことを甘く見て、名前を呼んでもなかなかこっちへ来ません。ある時、私と30mくらい離れていたでしょうか、私はあえて背を向けて逃げてみました。すると、それまで全くこちらに来ようとはしなかったのに、私をすぐさま追いかけてきました。動物には、ぱっと後ろに逃げたものを追いかける習性があります。人間もある意味動物。ある人が背を向けてぱっと逃げれば、咄嗟に追いかける本能が、私たちにも備わっているのでしょう。主は弟子たちを連れて、他の町に退かれました。それはまるで、群衆に背を向けて急いで逃げるかのようでした。置いていかれた群衆は、すぐに主を追いました。主が自分から逃げていく感覚。主の御恵みが自分を離れていく感覚。そして案外、離れていくとなると、さっと離れていくものです(詩30:7)。しかし重要なのは、さっと自分から離れていく御恵みを、私たち自身、ぱっと追いかけること。自分から離れていく花婿を、間髪入れず追いかけること(雅5:6)。おとめは、私が好きだった犬が、私を追いかけてきたのと同じ行動を取りました。それまでは高みの見物でいたのに、いざ花婿が去っていくとなると、急いで後を追いかけます。確認しますと、私が大好きだったラブに、背を向けて走り出したのはなぜか? 彼女が嫌いだったからではありません。むしろ、自分を追いかけてきてほしかったからです。実際、自分を急いで追いかけてきたラブを、その後私はギュッと抱きしめました。主が群衆に背を向けて去られたとしても、それは群衆に追ってきてほしかったからです。いつも共にいるとなると、皆安心してだらしなくなり、信仰を失いかねません。よって主はあえて逃げていかれます。それは、ご自身を追ってこさせるための主の対抗策です。ですから私たちは、あえてそれにのっかかろうではありませんか! そして、かつて私を追ってきたラブを、私がその後ギュッと抱きしめたように、主もまた、ご自身を必死に追ってきた人たちをしかと抱きしめてくださいます!


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