【町の門に近づくと】(2023年11月5日)
〈ルカ福音書7:1-17〉,前橋中部教会主日礼拝説教(要旨) 堀江知己牧師
主に対し、部下を助けに来てくれるように頼んだのは百人隊長本人でした。しかし、主が近づいてこられると、彼は思い直したかのように、「主よ、御足労には及びません」と言っています。主の御前に近づくと、光が闇に輝きわたるかのように、罪と汚れが際立ちます。主が近づいてこられるにつれ、主が近づいてくださるにふさわしくない自分を発見します。皆様はそれぞれ昔に比べて、主の権威が、自分にとってより大きなものとなっているでしょうか? しかし、自分が以前と比べて成長し、主の権威をより大きく感じる者となっているかどうかを確かめるための方法があります。それは、愛の業に励んでいるかどうか、といった判断基準です。百人隊長はただ信じていただけではなく、隣人を愛するといった業、さらには、本来は敵である人たち(ユダヤ人)を愛するといった御業を行っていました。愛の御業に励むことは、主の権威を感じている証拠です。主の権威を感ずることがなければ、主がお命じになった愛の御業に励むこともないでしょう。ナイン(11)は聖書に出てくる町の中で、あまり知られてはいない町です。主はこの町の門に近づかれました。もちろんこの町に入るためです。そこにちょうど死者が運ばれてきて、主によって甦ります。しかし、昔は門のところで裁きが行われ(創23:10)、重要な話し合いがもたれました(ルツ4:1)。主が私たちと、重要な話し合いをもたれる場所は教会です。私たちはこの教会に、魂の死者として運ばれてきました。ちょうどナインという町が、ほとんど知られていない町だったように、私たちの教会も、全体から見ればほとんど知られていないような小さな教会です。しかし主は、私たちの教会にも近づいてきてくださいます。そしてそれは、霊の導きによってここに運ばれてきた私たちの魂に、「起きなさい」と呼びかけ、よみがえらせるためなのです!