【最高のおもてなし】(2023年11月19日)
〈ルカ福音書7:36-50〉,前橋中部教会主日礼拝説教(要旨) 堀江知己牧師
罪深い女が主に対して示した行為、またその涙は、主に対する愛情や甘えによるものではありません。だとすると逆に、たとえ男性であっても、皆この女性のように涙を流し、また、自分の涙でもって、主の御足をぬぐわなくてはなりません。では、この行為にはどういった意味が込められていたのか? 旅人の足を洗う(創18:3)といったことが、最初にすべきおもてなしの行為であり、よってその行為は、おもてなしの一切を、さらには謙遜そのものを象徴します(二テモ5:10)。主ご自身が弟子たちの足を洗われ、謙遜の模範を示されたのですから、私たちは主に対し、謙遜の姿勢を示さねばなりません。さらに、女性は、自分の涙だけで主の御足をぬぐったのではありませんでした。高価な香油でそうしたのです。香油は、汚れを落とすのに効果的であっただけでなく、その香りを嗅ぐことに価値があり、さらには、香りがする油を注ぐこと自体に意味があります。お祝いごとの際に、相手に花束を持参したりするのと同じかもしれません。香油を注ぐ人の気持ちがこもっていること自体が、相手に感動を与えたのでしょう。私たちも、主をおもてなししたいと願っているならば、まず、それ相応の価値がするものを用意することが欠かせません。たとえばやはり献金とか、それが無理ならば、隣人に対する奉仕の業をもって、主をもてなそうとすることが大切です。とはいえ、やはり気持ちが一番大切です。そもそも女性が流した涙は、どんな涙だったのでしょう? 悔い改めの涙です。悔い改めの涙でもって、女性は主の御足をぬぐったのです。私たちも、自らの罪を嘆く悔い改めの涙をもってこそ、主の御足をぬぐいましょう! 悔い改めの思いをもってこそ、主をおもてなしするのです。主が最もお喜びになられるのは、私たちの悔い改めによるおもてなしであり、私たちが主のためになせる、最高のおもてなしとは、悔い改めをもってしてのおもてなしです。