メッセージ(礼拝説教要旨) 最新版 先週までのメッセージ

『野原の恋なすび(2022年12月31日)

〈創世記30章〉,前橋中部教会主日礼拝説教 堀江知己牧師

 ラケルにはなかなか子供が与えられず、恋なすび(不妊に効く薬とされていた)をもってしても無駄でした。それどころか、この取り引きを機にレアの方が子供を授かります。これはラケルに妬みをかき立てたことでしょう。恋なす(び)と言えば、おとめが若者(メシア)のために、野原から取ってきて戸口に並べておいたものでもありました(雅7:14)。私たちも恋なすを取って来て戸口に並べましょう。主を引きよせるその実りは野原で見つかります。野原とは自宅、教会の外のことであり、私たちにとっての伝道の働き場所です。良き行いを果たしていくことこそが、私たちにとっての実りであり、そしてその実りを主はお喜びになります。さらに、野原にて結んだ実を教会に持ち帰り、戸口に並べておけば、その香りに引きつられてメシアは訪れてくださいます。ラケルもついに子が授かりました。おそらく相当の年月が経っており、彼女としても諦めていたのではないか? それだけに間違った闘争心も抜けていた頃、神の恵みが与えられます。誰しもそういう経験はあるのでは? そして、思わぬ仕方で恵みが与えられた時は、以前の自分の熱意が間違っていたことを悟らされる時でもあります。別の駆け引きが同時進行していましたが、当時、「雌は交尾の際に、目で見ているものに似た子を産む」という言い伝えがあったようですが、この言い伝えはある意味真実ではないかと思います。私たちは子(=実)を生まなくてはなりませんが、その際に正しいものを見つめることはいかに大切でしょう。悪霊を見つめながらであれば、悪をみごもることになり(詩7:15)、悪い実(ガラ5:19)が生じるのみです。霊の実をもたらすためには(同5:22)、聖霊の送り主なる神を見つめなくてはなりません。良き実りをもたらすためにも、主をしっかりと見つめ、心の目にそのお姿をしっかりと焼きつけておきましょう!


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