メッセージ(礼拝説教要旨) 最新版 先週までのメッセージ

【二人への愛】(2022年12月18日)

〈創世記29:12-35〉,前橋中部教会主日礼拝説教(要旨) 堀江知己牧師

ラバンの言い分は破綻しています。骨肉つまり身内の者であれば、働くにせよただで働きます。それが家族というものではないでしょうか? 主はただで与えてくださり、ただで養ってくださいます(マタ10:8)。だから私たちも、(本来ならば)主のためにただで働きます(一コリ9:18)。主と私たちの間柄が、ただで無報酬で、といったものであるのは、まさしく私たちが主と家族であるからではないでしょうか? さらに私たちに対し、福音はただで伝えるようにと主は望んでおられます。それは、皆が主の家族になるようにと、主が願っておられるからかもしれません。イスラエル十二部族の父ヤコブは、二人の姉妹を嫁にします(厳密に言えば二人にはそれぞれ召使いがいました)。新しきイスラエルに属する私たちも、それぞれ二つを大切にしなくてはなりません(マタ22:37)。神と隣人を、二人の姉妹のどちらに該当するのかを検討する必要はありませんが、私たちは神と隣人とを大切にしなくてはなりません。しかも主にとって、隣人は主の兄弟姉妹でもあるわけですから(マタ12:49)、主というお相手を得るためには、主の兄弟(姉妹)も大切にしなくてはなりません(一ヨハ4:21)。イスラエルは最初から不和と争いに置かれていました。ヤコブがレアを大切にできなかったことが、家族間のトラブルにつながりました。私たちも、神への愛と隣人への愛のどちらかに偏ってしまえば、己と共同体とに不和をもたらしてしまいます。前者しか脳裡になければ隣人を顧みなくなり、後者だけに専念すれば教会は世俗化します。主は疎んじられている方(31)を目に留めてくださいました。それはイスラエル共同体に決定的な分裂が起こら(一コリ12:25)いためでした。私たちの共同体も決定的分裂に至らないとすれば、神の御憐みのゆえです。それに感謝しつつ、私たち自身互いに愛を培っていきましょう!


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