メッセージ(礼拝説教要旨) 最新版 先週までのメッセージ

『一目ぼれ』(2022年12月11日)

〈創世記28:18-29:11〉,前橋中部教会主日礼拝説教(要旨) 堀江知己牧師

ヤコブは枕にした石に油を注ぎ、それを礎石として神の家(18)、神殿を建てることを表明します。まことの神殿なる教会においても、いわば礎石として一つの親石、かなめ石が教会全体を支えてくれています。それはどのような石なのでしょうか? それは――かつての石がヤコブに寝心地のよい安らぎを与え、夢を見させてくれたように――安らぎと平安をもたらし、かつ希望に満ちた夢(使2:17)を見させてくれるものです。そして、教会全体を支えつつ、平安を与え、夢を見させてくれる親石とは、主キリストのことです(一ペト2:6)。私たちもこの石を枕に抱き、眠りにつかせてもらうことにいたしましょう! 続く物語にも石が出て来ます。しかしこちらは喜ばしくない石でした。井戸を塞いでおくための石なのですから。私たちにとっての井戸とは、命の水をくださる主イエスご自身です(ヨハ4:14)。しかしその水は、誰でもすぐに飲めるものではありません。それぞれの不信仰といったものが、まるで井戸を塞ぐ石のように塞ぎ、その水を飲めなくさせています。それはつまずきの石、妨げの岩(一ペト2:7)。ぜひともこの石を転がしてくれる人が現れてくれるとよいのですが! 物語ではヤコブが石を転ばせました。ヤコブは家で料理するのが得意な人でしたので、以前の彼ならば、重い石を転がすことなどできなかったのではないか? しかし今の彼にそれができたのは、ラケルに一目ぼれしていたからです。だからこそ怪力ないし馬鹿力が湧き、いい所を見せてやろうといった気持ちで重い石を軽々と持ち上げることができました。私たちの不信仰が凝り固まったつまずきの石は大変重く、とても転びようがありません。しかし、私たちも主イエスに一目ぼれすれば、私たち自身の中に眠る馬鹿力を主が引き出してくださることでしょう。そうすれば、つまずきの石をどかすことなど朝飯前です!


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