メッセージ(礼拝説教要旨) 最新版 先週までのメッセージ

『昇り降りする』(2022年12月4日)

〈創世記28:18-29:11〉,前橋中部教会主日礼拝説教(要旨) 堀江知己牧師

エサウは怒りに燃え、兄弟殺しという悪を企みながらも、父の顔を立てることができました(41)。兄弟を殺せば父を大いに悲しませると思ったからか、それとも、兄弟殺しなど決して許さぬ権威と威圧とが父に備わっていたからか? 私たちにも共通の御父がおられます。自分が兄弟に悪を働けば、御父は深くお嘆きになり、お怒りになられます。その兄弟も御父は愛しておられるからです(一コリ8:11)。エサウですら父に権威を認めていたのですから、私たちも御父に権威を認めなくてはなりません。もし兄弟に対する悪しき考えが湧き、それを口にしたり体で表現しそうになってしまう時には、御父の権威を思い起こし、悪いことを控えましょう。さて、ヤコブが何の理由もなしに逃れていったとしたら、よほどのことをしでかしたと人々にばれてしまいます。ヤコブとしても、自分は挫折したと自己嫌悪に陥ってしまったでしょう。そこで両親は嫁探しといった口実、大義名分を設けます。それはまさに、主がご用意くださった逃れの道でした(一コリ10:13)。皆様も逃げてしまったことがあるかもしれませんが、神は計り難い大義名分をご用意し、新しい道を切り開いてくださったものと思います。ところで主も言われました。「もっと偉大なことを見る。天使たちが人の子の上に昇り降りする(12)」(ヨハ1:51)。私たちも聖徒となり、主に昇り降りしなくてはなりません。しかし主の「上に」昇り降りするのです。主の権威は人が到達できないほど高いはず(詩139:6)。よって、「人の子の下に昇り降りする」といった言い方が正しいのでは? 「上に」だとすれば、主は最も低い所におられることになります。主は全ての者に仕えるため、一番低き場所にいてくださいます(マタ20:28)。主は全ての人の僕となってくださる――これはまさに偉大なことです! ぜひこの偉大なことを見ようではありませんか!


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